サメとクジラはがんにならない?「ガンになりにくい人」と遺伝子の関係
目的・概要
巨体で長寿のクジラやサメは、体の大きさから予想される水準よりも、がんの発症率が著しく低いことが知られています。本記事では、この「ペトのパラドックス」と呼ばれる現象を、査読付き論文と米国立がん研究所(NCI)の情報をもとに解説します。サメが備える「ゲノムの安定性」、クジラが進化させた「がん抑制遺伝子」という2つの異なる戦略を整理し、がんが遺伝子の異常から生まれる病気である以上、私たち自身の遺伝的傾向を知ることがなぜ予防に役立つのかまでを扱います。健康に関心のある一般の方に向けて、専門用語には補足を添えています。

サメやクジラは、本当にがんにならないのか?
結論から言えば、発症はゼロではありません。しかし、体の大きさや寿命から予想される水準に比べ、発症率が著しく低いことは複数の研究で示されています(1)。200年近く生きるホッキョククジラや、4億年以上前から海に存在するサメは、なぜがんに強いのでしょうか。
なぜ「体が大きいほどがんになりやすい」はずなのか?
がんは、細胞が分裂する過程で遺伝子(DNA)に生じた傷やコピーミスが積み重なることで発生します。分裂の回数が増えるほど、変異が起こる機会も増える。理屈のうえでは、細胞数が多く寿命の長い動物ほど、がんになりやすいはずです。
ところが実際には、体格や寿命とがん発症率はきれいに比例しません。この矛盾は、指摘した疫学者の名にちなんで「ペトのパラドックス」と呼ばれ、長年、生物学と医学の大きな謎とされてきました。巨大な動物ほど、がんを抑え込む仕組みを進化の過程で獲得してきた可能性が高い、というわけです。米ペンシルベニア大学のCaulin博士らは、その答えが遺伝子に隠されていると指摘しています(1)。
サメががんに強い理由は?──崩れにくい「ゲノムの安定性」
サメの強みは、ゲノム(生物がもつ遺伝情報の全体)そのものの安定性にあります。
ホホジロザメのゲノムを解読した研究では、DNAの傷を修復する遺伝子や、遺伝情報の乱れを防ぐ遺伝子が特徴的に発達していることが報告されました(2)。傷ついても素早く直し、そもそも情報が崩れにくい。この「守りの堅さ」が、長い年月にわたる変異の蓄積を抑えていると考えられています。同じ研究では、傷の治りの速さに関わる遺伝的な特徴も確認されており、ゲノムを守る仕組みと体を修復する力が、セットで発達してきた可能性が示されています(2)。
クジラががんに強い理由は?──「がん抑制遺伝子」の増強
一方、クジラは別の戦略をとっていました。米アリゾナ州立大学のTollis博士らがザトウクジラを含むクジラ類のゲノムを解析したところ、がんの発生を抑える「がん抑制遺伝子」やDNA修復に関わる遺伝子が、進化の過程で高度に発達していたことが分かりました(3)。
異常な細胞が現れた瞬間に検知し、増殖する前に取り除く。クジラは体内に精度の高い防衛網を備えることで、巨体と長寿を両立させてきたのです。ヒトの数百倍の細胞数をもちながら発症率が低いという事実は、細胞の数そのものより、それを見張る仕組みの質が重要であることを示しています。
ヒトに応用できることは?──がんは「遺伝子の病気」

サメとクジラ、進化の道筋は違っても、結論は同じ方向を指しています。がんへの強さは、最終的に遺伝子に支えられているということです。
裏を返せば、がんとは遺伝子の異常から生まれる病気でもあります。だからこそ、自分がどのような遺伝的傾向をもつかを知ることには意味があります。米国立がん研究所(NCI)は、遺伝子検査によって特定のがんへのなりやすさを評価できる一方、結果の解釈には医師や遺伝カウンセラーの関与が重要だと説明しています(4)。
遺伝的リスクを知ると、何が変わるのか?
遺伝的リスクが高いことは「必ず発症する」という意味ではありません。喫煙、飲酒、食生活、運動、感染症といった生活習慣や環境の影響も大きく関わります。遺伝情報は運命ではなく、自分に合った予防と検診の計画を立てるための地図です。
リスクが高いと分かれば、検診の間隔を短くする、禁煙や節酒に本気で取り組む、といった具体的な行動につなげられます。サメやクジラは何億年もかけて備えを手に入れましたが、私たちには自分の遺伝情報を読み解く技術があります。日本では胃がん、大腸がん、肺がん、乳がん、子宮頸がんについて対策型検診が整備されており、遺伝的な傾向を知ることは、こうした検診をより計画的に受けるための後押しにもなります。まずは自分の傾向を知ることが、現実的な第一歩になります。
サマリー
- サメやクジラのがん発症は「ゼロ」ではないが、体格・寿命から予想される水準に比べて著しく低い。
- 体格とがんリスクが比例しない現象を「ペトのパラドックス」と呼ぶ。
- サメの強みはゲノムの安定性と、DNA修復・創傷治癒に関わる遺伝的特徴。
- クジラの強みは、がん抑制遺伝子とDNA修復遺伝子の高度な発達。
- 共通点は、がんへの強さが最終的に「遺伝子」に支えられていること。
- ヒトも遺伝子検査で特定のがんへのなりやすさを評価できるが、解釈には医療者の関与が重要。
- 遺伝的リスクは運命ではなく、検診計画や生活習慣改善のための「地図」として活用できる。
よくある質問(FAQ)
Q. サメやクジラは本当にがんにならないのですか?
A. いいえ、まったくならないわけではありません。がんの報告はありますが、体の大きさや寿命から統計的に予想される水準と比べると、発症率は著しく低いと考えられています(1)。
Q. 「ペトのパラドックス」とは何ですか?
A. 細胞の数が多く寿命の長い動物ほどがんになりやすいはずなのに、実際には体格とがん発症率が比例しない、という矛盾を指す言葉です。大型動物は進化の過程でがんを抑える仕組みを獲得してきたと考えられています(1)。
Q. サメとクジラでは、がんに強い仕組みが違うのですか?
A. はい、異なります。サメはゲノム(遺伝情報の全体)そのものが安定しており、DNA修復に関わる遺伝子が発達しています(2)。クジラはがん抑制遺伝子とDNA修復遺伝子を高度に発達させ、異常な細胞を早期に排除する仕組みを備えています(3)。
Q. がんは遺伝するのですか?
A. がんそのものが遺伝するのではなく、がんになりやすい体質(遺伝的素因)が受け継がれる場合があります。遺伝性のがんは全体の一部で、多くは生活習慣や環境要因との組み合わせで発症します(4)。
Q. 遺伝子検査を受ければ、がんになるかどうか分かりますか?
A. 分かりません。遺伝子検査で評価できるのは「なりやすさの傾向」であり、発症の有無を確定するものではありません。米国立がん研究所(NCI)は、結果の解釈にあたって医師や遺伝カウンセラーの関与が重要だと説明しています(4)。
Q. 遺伝的リスクが高いと分かったら、何をすべきですか?
A. まずは医療機関や遺伝カウンセラーに相談してください。そのうえで、該当するがんの検診を推奨より早めに、あるいは高い頻度で受ける、禁煙・節酒・食生活の見直しなど、修正可能なリスク要因を減らす取り組みが有効です(4)。
参考文献
- Caulin AF et al., Trends in Ecology & Evolution, 2011 https://doi.org/10.1016/j.tree.2011.01.002
- Marra NJ et al., Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS), 2019 https://doi.org/10.1073/pnas.1819778116
- Tollis M et al., Molecular Biology and Evolution, 2019 https://doi.org/10.1093/molbev/msz099
- National Cancer Institute (NCI)「Genetic Testing for Inherited Cancer Susceptibility Syndromes」, cancer.gov, 2026年 https://www.cancer.gov/about-cancer/causes-prevention/genetics/genetic-testing-fact-sheet
この記事について
- 著者:
- seeDNA遺伝医療研究所 編集部
遺伝学・分子生物学の一次情報および国内外の公的機関の公開情報に基づき、検査 部門と連携して記事を制作しています。 - 監修:
- 富金 起範(株式会社 seeDNA 代表取締役)
2003年に文部科学省の国費留学生として、ヒトの免疫に関わる遺伝子発現と薬理 メカニズムを研究。DNA型鑑定・遺伝子解析技術の開発に従事し、特許第7331325号ほ かの発明者です。 - 発行機関:
- 株式会社seeDNA(seeDNA遺伝医療研究所) /〒121-0813 東京都足立区竹の塚3-10-1 竹の塚ビル2階/TEL 03-6659-2997
- ISO 9001 認証(2022年12月7日/G-CERTI JAPAN)
- プライバシーマーク認定(2022年4月20日/JIPDEC)
- 一般社団法人遺伝情報取扱協会(AGI)会員
- 日本法医学会・DNA鑑定学会・日本分子生物学会 参加
- 特許第7331325号/特許第7121440号
本記事は科学的な解説を目的としたものであり、特定の疾患の診断・ 治療・予防の効果を保証するものではありません。診断や治療については医療機関にご 相談ください。